CAMBODIA DREAM TRAVEL & TOURS
CAMBODIA DREAM TRAVEL & TOURS
NEKO THE HISTORY①
2008〜2010年
🐾 2008年〜)足の速い芸人。
芸人としてはギャグ名人として知られた存在。
「ラッセーラー、ラッセーラー」「ポーツマス、ポーツマス」という単純かつ明快なギャグで、リアクション芸人としてTVでも一躍人気者に。
お笑いライブもマニアックなファンに大人気だったが、2007年頃にTBSTVの「TBS大感謝祭」での番組内マラソンで優勝。“芸能人最速”といわれるようになり、それからはマラソン企画に積極的に参加し、走ることの楽しさに目覚めた。
🐾 2009年8月29日)トーク番組でホリエモン(実業家) が言及。
2009年8月29日に出演した放送番組で、そんな猫ひろしの足の速さに注目した堀江氏から、カンボジアへ帰化してオリンピックに出場する計画が言い渡された。
カンボジアとは縁があった堀江氏ならではのアイデアであった。
そのときに、「いいっすね」と返事をしたもようだ。
🐾 2010年12月)カンボジア、アンコールワットマラソンで3位。
元日本代表マラソン選手、谷川真理さん所属の中島進コーチのもと、本格的にマラソントレーニングを積む。
カンボジアで開催された「アンコールワット国際ハーフマラソン」に出場し、1時間15分59秒で3位入賞という好成績となる。
※フルマラソンでは初出場となった2008年東京マラソンでの3時間48分57秒から、ロンドン五輪出場を決めた2012年2月の大分マラソン(2時間30分26秒)までの4年間で1時間18分以上のタイムを縮めた。
NEKO THE HISTORY②
2011〜2012年
🐾 2011年、猫ひろし・オリンピックを目指しカンボジア国籍を取得すると発表!
2011年2月、カンボジア観光大臣であるトン・コン氏よりスポーツ選手として初の国籍推薦状をもらった猫。カンボジア国籍申請には、日本外務省、警察庁より発給される通称無犯罪証明書といわれる「警察証明書」が必要であるが、その発給には対国ごとに日本の規定があり、カンボジアの場合は政府からのの推薦状が必要であったのだ。
カンボジア人スタッフの“ビサール”と奮闘のすえ、カンボジア内務省や外務省に書類を申請、面接までごぎつける。
2011年11月にインドネシアで行われる「東南アジア大会」にカンボジア代表で出場しなければ、ロンドン五輪は間に合わない。それにはカンボジア人パスポートが必要であった。
🐾 2011年11月8日)インドネシア入りの前日にトラブルに見舞われる。
無事カンボジア人パスポートが発給され、10月末、トン・コン観光大臣主催による東南アジア競技大会の壮行会に参加。プノンペンに滞在中のこと、出発前日11月7日にトラブルに見舞われた。
外出先にて日本人グループ数名にに待ち伏せされ、「東南アジア大会出場を辞退しろ」との脅迫を受けたのだ。ちょうど、カメラマンの鈴木氏が密着撮影していた最中に起こった出来事である。プノンペンというあまり治安が良いとはいえない土地柄と、脅しを受けたことで二人は恐怖に震えたという。
なんとか怪我もなく逃れることができ、無事11月8日に出発した。
🐾 2011年11月16日) 猫ひろし、インドネシア東南アジア競技大会にカンボジア代表として初出場。
当時のカンボジア記録、ヘム・ブンティンの2時間31分58秒を上回り、1位をとらなければ国籍をとったところでロンドン五輪には出場できないという重圧の中、多くの日本メディアがインドネシアに大挙して押し寄せた。猛暑の中、気絶しかかりながらのゴールとなった。
記録は2時間37分39秒で5位、ロンドン五輪が遠のいた。
🐾 2012年2月2月5日)ロンドン五輪へのラストチャンスを賭けた勝負(大分)
翌年2月の別府毎日大分マラソンに出場。2時間30分26秒で、当期カンボジア記録を塗りかえ、ロンドン五輪出場条件をクリアーした。
当時の本人(公式)記録を約7分も縮めるという目標を成し遂げた猫に、数10社ものメディアが大分まで押し寄せる騒ぎとなる。そのときの囲み取材にて新聞社が〝メザシ〟を用意しておりくわえさせられた。
この快挙に“ロンドン五輪決定”として大きく報道されたが、このメザシ写真ばかりが使われ、「ふざけている」「このような人がオリンピックに出ていいのか」といった批判も出始めた。
NEKO THE HISTORY③
2012〜2013年
🐾 2012年3月28日)報道が先に出たことにより、仕方なくロンドン五輪決定記者会見。
3月下旬に共同通信さんより端を発した“ロンドン五輪決定”の報道をうけ、連日のマスコミ対応が深夜にまで及んだため、急遽記者会見を決行。場所は、ワハハ本舗の稽古場だったが、集まったTV、新聞等のメディアは200名以上に及んだ。
本来は、カンボジア国内にて発表を行う5月頃までは正式決定ではないのだが、カンボジア政府にも日本のマスコミ攻勢が連日ひっきりなしであったため、カンボジアオリンピック委員会との相談のうえでの発表となった。また、どこかの新聞社さんが今度は〝鯛〟をご用意しており、この模様が大きく報道された。
「ふざけている」「カンボジアに対して失礼だ」などの批判をはじめ、「日本人に代表を譲る若い選手の心中を思うと悔しい」と元有名選手が読売新聞で涙で訴えたとある。さらに某新聞では、有名実業家が「私は猫さんの五輪出場に反対します」と表明した。
🐾 2012年4月) 週刊新潮に見開き2ページにわたって、猫ひろし批判を展開される。
「週刊新潮」(2012年4月19日号)のインタビューに、カンボジア人アスリート、ヘム・ブンティン選手が見開き2ページにわたって答えた。国際陸上競技連盟によると、2009年にマラソンでカンボジア記録となる2時間25分20秒のタイムを出している。前年の2008年に開催された北京五輪には、代表選手として出場。猫ひろしとは国内ハーフマラソンでは何度も競演しており、猫が現れるまではカンボジア最速のアスリートだった。これまでもブンティン選手は、猫ひろしの五輪挑戦が報じられる際に、比較としてその名が挙げられた。当期のヘム・ブンティンの記録2時間31分58秒を、わずか1分半上回った猫や、カンボジアオリンピック委員会に対しての不満が綴られていた。
※このとき週刊誌記者の某氏が、猫ひろしが皇居前を練習しているところを追いかけ、取材を試みてスーツ姿で500Mくらい伴走していたという。
🐾 2012年4月12日~5月8日)
ロンドン五輪NGのご一報をいただく。
国際陸上競技連盟がカンボジア陸連に説明を求めていることが、2012年4月12日に共同通信さんより報道された。さらに、同年5月8日には「(ロンドン五輪の時点で)国籍取得から1年未満かつ連続1年以上の居住実績がない」ことから参加資格を満たしていないと正式に判断、特例も認めないことをカンボジア陸連に通達した。
その後、カンボジア側は決定を受け入れた。よってロンドンオリンピック出場は消滅。
※なお、本人はもちろん事務所やスタッフも、この報道でロンドン五輪が中断となったことを知るという状況だった。4月12日時点では、カンボジアオリンピック委員会のチョモラン理事長はロシアに出張しており不在で、カンボジアオリンピック委員会すらも把握していなかった。当事者がこの情報を知る前に、共同通信さんが報道していたことになる。
🐾 2012年8月)ロンドンオリンピックをTV画面でじっと見る猫ひろし。
ロンドン五輪選手に選考されたものの、その後取り消しとなった猫ひろしは、TVでそのもようをじっと見ていた。悔しい。このままでは終われない・・・。
「走ることは、止めない」
猫は再出発を宣言し、心機一転、トレーニングをはじめたのだった。
NEKO THE HISTORY④
2013〜2015年
🐾 2013年11月)2度目の東南アジア大会(ミャンマー)に出場。惜しくもメダル逃すも4位で健闘。
2時間32分54秒で4位。このときの猫のコメントは「マラソンは、甘くにゃい」
🐾 2014年9月)アジア大会出場で(ヘム・ブンティン選手と一騎打ち※左隣)
2014年9に韓国で行われた、45ヶ国が競うアジア大会。カンボジア代表としてヘム・ブンティン選手と猫ひろしが出場。これまでは、国内大会でのハーフマラソン競技での競演はあったが、フルマラソン及び国際大会でははじめての一騎打ちとなった。
記録は、猫ひろし2時間34分16秒で14位(19人走者中)。カンボジア一位となった。ヘム・ブンティン選手は途中棄権した。(今大会では5人の各国代表が棄権)。
※韓国では、猫ひろしのゴール映像が繰り返し報道されるなど注目度が高く、会場付近では、韓国人学生が猫ひろしが出てくるのを待つという人気ぶりも見られた。
🐾 2015年2月)37歳で自己ベスト更新
2015年2月、東京マラソンにカンボジア代表として出場。2時間27分48秒。
自己ベストを3分近く上回る好タイムとなり東南アジアでのメダルの可能性が浮上してきた。
2012年2月の2時間30分26秒から、3年ぶりのベスト更新となった。リオ五輪への希望の光がみえはじめた猫。このときのコメントは、
「小さなことから、コツコツ、ニャーニャーと」。
🐾 2015年5月)3度目の東南アジア大会(シンガポール)無念の6位敗退。
カンボジアのマラソン記録保持者であったヘムブンティンは2007、2009年に銀メダルと銅メダルを取った。
東京マラソンで2時間27分台を記録し、カンボジア記録更新や、メダルは確実かと期待された猫。
しかし3度目の挑戦でメダルを逃した猫に、カンボジアオリンピック委員会の態度は厳しいものとなり、猫を積極的に推薦する体制ではなくなった。
オリンピックを含め、次回の国際大会は、記録が猫に及ばなくても、若いランナーを出すべきとの声も多くなった。また、東南アジア諸国にとってメダルの可能性があるSEA GAMESはオリンピックより重要だ。
国をあげて応援した猫が、メダルを3回も逃したことで、今後の代表入りはほぼ絶望といってもよいほどの悲観ムードがあった
当方(チーム猫)も、これ以上無理やりチャレンジして、カンボジアオリンピック委員会との関係を悪化させる必要はないと判断していた。カンボジアオリンピック委員会に委ねることとした。
🐾 2015年11月)チャイ・キムサンコーチ、逝去
カンボジア陸連コーチ(通称:年寄りコーチ)がガンのため急逝。80歳と高齢だが、60年前のSEA GAMESのランナーで銀メダリストであるカンボジア唯一のレジェンド。
シンガポールで猫が必ずメダルを取ると信じていたチャイ・キムサンコーチ。猫が走る前に、神に祈りを捧げる姿もあった。しかし、猫はメダルを取れなかった。コーチはがっかりして、放心状態であった。同じく猫も、しばらく放心状態であった。
NEKO THE HISTORY⑤
2016年
🐾 2016年5月7日)そして、最後の戦いが始まる。
2016年初頭、村上(猫マネージャー)とビサール(カンボジア通訳・コーディネーター)がオリンピック委員会へ掛け合った。数ヶ月に及ぶ奮闘のすえ、呼び出されたビサール。
オリンピック委員会理事長は試合の決定を猫に言い渡す。「リオ・オリンピック出場のための国内競技大会」の開催を行うというのだ。
もともと、東南アジアではオリンピックそのものについての理解が不足しているが、キャリアや成績関係なく、才能ある挑戦者の発掘や、まだ若い選手たちにも平等のチャンスを与え、オリンピックへの士気を高めることを目的に開催するのだという。
公平を規するため、これまでの成績をいっさい考慮しないという、よくわからない理屈だ。
猫は、この試合に全てを賭けるのだった。そのときから、これまで一緒に練習してきた仲間たちはライバルとなった。
いつも猫の後ろをぴったりとついてくる、国内2位のマビローをはじめ、ロンドン五輪では、猫の代わりに800M走で出場したサモーン、さらにはまだ実力が未知数の10代のランナーたち――。プノンペンより海側に向かって数10KMの所で、その大会は行われた。
シンガポールの一件以来、かなりやる気を失っていたビサールも、猫と同じく数日前から現場に駆けつけ、オリンピックを目指した当初の頃のように、猫とともに入念にコースをチェックする姿があった。
例によって、給水所や道標などの手配が行き届いていないと思われ、大量のドリンクを積んでバイクでランナーたちの後ろにつけるビサール。スタート。早朝でも気温が高かった。次々と脱落していく選手たち。猫も例外ではなかった。やはり暑さには慣れない。さらには意外なことに、万年2位のマビローが急接近していた。大ピンチを迎える猫。やばいよ、やばいよー。
付き人ビサールもハラハラ。
そして、試合はゴール寸前で勝敗を決するのだった・・・
🐾 2016年8月)リオオリンピック出場。
カンボジア付き人ビサールは、リオ出発1週間前まで、書類の調整に右往左往していたという。
「開会式に出るまでは、また何か起こるんじゃないかと心配だった。カンボジアは、直前で変更になることがよくある。開会式に出ているのを見て、やっと安心した。猫さんは、もう慣れているけどね」とのことだ。
🐾 2016年8月16日)リオオリンピック完走。会場からカンボジアコールが!
リオオリンピック出場の男子マラソン選手は155名。悪天候、暑さにより、そのうち15名の各国代表が脱落するほどに厳しいレースだった。
猫ひろしことTAKIZAKI KUNIAKIは、やはりゴールした。139位、完走者の中でワースト2位。ラストスパートでヨルダン代表と競り合う姿が世界中で放送された。
完走後、猫は大きなニャーをし、その後は自分のワンマンライブのように観客を煽った。持ち芸の『ラッセーラー、ラッセーラー』までオリンピックのゴールの舞台でやってみせた。そのノリがブラジル人に合ったようで、『カンボジア!カンボジア!』の歓声はどんどん大きくなった。
競技場の裏では、観客が猫ひろしを待ち構えて押し寄せ、
ブラジル人同士で『カンボジア』コールを始める騒ぎとなった。
ブラジルのニュースでも大々的に取り上げられ、母国カンボジアでもTVで猫のゴールとカンボジアコールが繰り返し放送された。
🐾 ゴール時の喜びパフォーマンスでブラジル人が盛り上がった。
大人気となった猫は、休む間もなく、サイン会や撮影に対応した。ゴール時のパフォーマンスについて聞かれた猫ひろしのコメントは、
「元日本人の、現カンボジア人の、そしてブラジリアン魂がボクをそうさせてくれた」。
🐾 開催国ブラジルでも大きく報道。
開催地ブラジルでも、猫ゴールとカンボジアコールは明るいニュースとなった。なんと一部報道では、マラソン選手人気投票で6位という記事もあった。さらに、この記事では選手名である本名〝TAKIZAKI KUNIAKI〟ではなく、なぜか〝NEKO HIROSHI〟と報道されていた。
🐾 2016,12,4) 第21回アンコールワット国際ハーフマラソン出場。
リオ・オリンピックから3ヵ月後。
猫はまたスタートラインに立った。
猫ひろしは、これからも走り続けるのであった。
...To Be Continue.
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